インタビュー
2020年3月22日 掲載
岸本 充生 センター長インタビュー(前編)「ELSIセンターが提供する価値とは」
Profile
岸本 充生
1970年兵庫県生まれ。1998年京都大学大学院経済学研究科博士後期課程終了、博士(経済学)。同年、通産省工業技術院資源環境技術総合研究所入所、独立行政法人産業技術総合研究所安全科学研究部門研究グループ長、東京大学公共政策大学院及び政策ビジョン研究センター特任教授を経て、2017年から大阪大学データビリティフロンティア機構教授。原子力規制庁放射線審議会委員(2017年度から)、総務省政策評価制度部会委員(2015年度から)など。専門はリスク学。子どもの小学校のPTA会長(2018~2019年度)。
なぜ、いま、ELSIセンターを設立するのでしょうか。
日々、新しい技術が世に生み出され、多くの研究者や技術者がその開発に取り組んでいます。一方、新しい技術を社会に実装するためには、乗り越えるべき壁が多く存在します。技術を世に送り出そうとする側が、自らの純粋な研究者精神に基づいて開発するだけでは、その技術が導入されようとするプロセスにおいて、社会の側には受け入れられないケースもままあります。また、ひとたび新規技術が社会から激しく批判されるようなことが起こってしまうと、その技術に関する研究を進めることができなくなってしまう可能性もあります。ELSIセンターの役割のひとつは、技術を生み出す側とそれを受け入れる側の間に立ち、そのような事態を未然に防止する、あるいは社会との界面で生じる問題や不和の理解を深め、知見のフィードバックを行うことで問題構造の緩和に貢献するということです。特に近年、ビッグデータと人工知能(AI)があらゆる分野で利用されるようになり、ELSIについて部局をまたいだ対応が必要になってきました。
具体的にひとつ例を挙げるならば、生体認証技術があります。近年、顔認証など個人を識別する技術が高度化しているのと同時に、そこで得ることができる詳細な個人情報をどのように扱うのかという問題が顕在化しています。例えば、個人情報を売買することは許されるのか。許されないならなぜ許されないのか。許されるならどこまでか。そして、どのような手続きを踏めば許されるのか。これらは現状として、法律(Legal)である程度カバーされているのですが、倫理(Ethical)や社会(Social)の問題としては議論が尽くされているとは言えない状況だと思います。個人情報を売買することは臓器売買と同じであり許されるものではない、という主張が存在する一方で、日本では「情報銀行」が次々と事業を開始し、個人情報の蓄積、利用が推進されているという面があります。
これらのテーマにおいて、どこまでが許されてどこからが許されないのかという線引きは、文化によっても時代によっても異なります。さらに、技術開発のスピードは非常に早く、容易に法の範疇を超えていきます。法の整備も重要ですが、それと同時に、何を基準にその技術の導入の是非を判断するのか、判断基準を構成する要素とは一体何なのか、ということを、様々なケースを分析することによって現段階から理論として確立しておく必要があると考えています。そしてこれには、人文・社会科学系研究者と理工情報系研究者がその垣根を超え、協働で取り組むべきなのです。
ELSIに関わる研究者には、どのような資質が必要なのでしょうか。
ELSIという概念は、1990年にアメリカで始まった「ヒトゲノム計画」の中で登場したものです。その後30年にわたるELSIに関わる研究の流れをみると、人文・社会科学の研究者コミュニティーが育った一方で、彼/彼女らが科学技術研究の範疇に取り込まれることにより、研究対象に対する批判的な視点を失ってしまったという指摘もあることがわかります。そういう事態は、ELSIセンターでの研究においても当然想定すべきです。しかしだからといって、科学技術の研究開発の「外」から評論するだけで、社会問題の解決に資する科学技術の研究開発に対して何の具体的提案も行わないというのでは存在価値がありません。我々ELSIに関する研究に取り組む研究者は、科学技術を生み出し、社会に実装したい側と、新しい科学技術に対して懐疑的な側の両方からの批判を、正面から受け止める存在であるべきだと考えています。
そういった意味で、我々には高度なバランス感覚が求められます。ELSI研究は本来、利益相反を必然的にはらむことになる研究分野であり、ELSI研究に関わる研究者はそれに自覚的であることが最も重要です。本ELSIセンターの構成員は、今までにそういった場で実績を積んできた研究者です。
私自身はもともと社会科学系の研究者ではありますが、長年、科学技術の安全性に関する国の規制や評価の手法や基準の検討に関わってきました。私が一貫して主張してきたのは、どのような手順で意思決定するのか、何を基準に意思決定するのか、という「手続き」を最初に徹底して検討する、ということです。極端に言うと、結論自体に正しいか正しくないかはなくて、適切に定められた手順に則って導かれているならどんな結論でもそれは正しいのだという立場です。萌芽的な段階でまだまだ不確実な「科学技術」と「政策」や「社会実装」の間に存在するブラックボックス部分を可視化することにつながります。このことは、何か問題が起こったときに、手続きの何が問題だったのかをあとから検証できるようにしておく、ということでもあります。これは、我々ELSIに関わる研究者が社会課題に取り組むときの基本姿勢でもあると考えています。
▶︎岸本 充生 センター長インタビュー(後編)「ELSIセンターを取り巻く現状とは」